全体意志を重視するあまり、偏差値43ぐらいの人に全体を合わせている日本

日本には暗黙の了解で、全体意志に合わせないといけない文化がある。

偏差値で言うのはまあおかしいんだけど、ここではテストの点の偏差値じゃなくて、自分の頭で考える能力の偏差値、
意識の高さという偏差値を言います。
ただ分かりやすく数字を使ってるだけ。





この大多数の中間地点のだいぶ下の偏差値43ぐらいの人に合わせて世の中のことが決めてある気がする。



特に、テレビ番組なんかは偏差値40ぐらいの人に合わせて作ってあることが多い。だって知能の高い人ってあんまりテレビ見てないよ。
実際のところ。

新聞は50〜55ぐらいの人用に作られているかな。ちょっとあれ?あなた〇〇?って人は新聞なんて絶対読まないでしょ。

だから50〜55くらい。

ちょうどそのくらいの人がああそうかと情報操作されるような新聞が作られている。
だから能力の高い人が読むと、これは嘘っぽいってすぐわかる。

読売は能力のある人は買わないから、50くらいの人をだますように作っている。







それでまあたまに偏差値65ぐらいの人が見ても面白いドキュメンタリーとかNHKにたまにあるけど、偏差値40ぐらいの人からしたら、
小難し〜〜ってなって、視聴率取れないから、やっぱり民放は教養番組でも60弱くらいを設定して作られている。








政治家は国民を馬鹿にしているし。それで騙されてていいや〜〜、やる気な〜〜しって人に全体が合わされていくっていうのが

日本の不幸なのね。


だから国民全体的に相手の能力を尊重しないといけないの。

わかんない〜〜、じゃなくて。

できる人がちゃんと自由に羽ばたける世の中にね。そうしないとそういう人がしっかり行動を発揮できない。

そうでないと、日本全体が低レベルに引っ張られてしまう。


自由が削がれると、不満がたまってて人の足も引っ張ることをする人も多い。それで悪循環。





結構その辺ヨーロッパはシビアだね。できない人とできる人をかなり早いうちから分けていくから。
能力のある人はそれを使ってもらわないと〜と仕事量が多い。